大学四年生は卒業旅行にいくべきという固定観念に縛られていたお話!
私は四月から新しい職場に転職するにあたって二カ月ちょっと自由な時間ができたんです。
なんとなく漠然と「どこか海外にいこう」と考えていました。
問題は長期間旅行に行ける友達がいないということ。友人は仕事をしてる人が大多数なのです。
そこで必然的に一人旅に思い至りました。
書店で立ち読みしていたとこ旅先は可能な日数で絞られてくる。
四日でアジアとか載っていて2週間あれば地球の裏側の南米にもいけて、ウユニ塩湖やナスカの地上絵、マチュピチュなんていいじゃないですか的な提案が。
ウユニ塩湖は画像を見ことがあったので、魅力的だなと惹かれていきました。
旅行史を物色してついに南米に行こうと決断。
しかし、ここで問題発生。
ツアーは高くて予算OVER。
仕方ないから自分で手配するかと思い、下調べ。
そんなときです。ふと思いました。なんだかめんどくさいなと。
飛行機にバスの手配など手続きがめちゃくちゃ多い。
東京⇒リマ(ペルー)→クスコ→ナスカ→クスコ→マチュピチュ→クスコ⇒ラパス→ウユニ→リマ⇒東京
ざっと移動をまとめてみました。もしかしたら経由先が間違ってるかもしれませんがこんな感じで非常に移動が多い。長距離バス(→)の手配と飛行機の手配(⇒)
よくよく考えてみると
あれ?そもそも、私にとっての旅行の魅力とは何なのか。
歴史的建造物を見るのはそこまで好きではありません(以前より興味は持てるようになりましたが)
うーん、と悩んだ結果行きついた答えは友人とワイワイすること、わいわいしながらおいしいものを食べることでした。
(一応これまでに六か国に旅行したことがあり、これで十分かなとやや満足している部分があるのは否めませんが)
「友人や家族からまとまった時間は貴重だから海外に行ってきなよ」と言われてたことや大学時代にも「社会人になると時間がなくて海外に行きづらくなるか学生のうちに言っておくべき」と聞いていた
→
ある種、行かないといけないというニュアンスに近いような感覚を覚えていたのかもしれないと気づきました。
この一連の出来事を通して、
好みは人によって違う
それぞれが好きと思うことをするのが一番
それぞれが干渉せずに尊重しあうことが大事なんじゃないか
という
とても
とても
抽象的で哲学チックな結論にたどり着きました。
私の中ではこれって職業選択なんかにも反省されてくるものだと思います。
年収が1000万を超えるけどその分、忙しくて残業が多い会社に勤めるのか。
それとも
年収がそこそこで残業が少ない会社を選ぶのか。
頑張って稼ぐ→生活水準が上がる→現状に満足できなくなる→さらに稼ぎたくなる
という感じでいつもでも満足できなくなるんじゃないかと思うんですよね、個人的には。
そうなると、どこで落としどころをつけるのかが大事になってくると思います。
いろんな考えを持っている人がいる中で、考え方は何十通りもあって数学のような明確な答えがない問いなんじゃないかと。どんな答えにも間違いもないはずです。
つまり、自己満足の世界でしかない。自分がどういう人生を送りたいのか。そのためにはどれくらいのお金が必要かとかワークライフバランスから逆算して仕事を考えてもよいはずです。
外資でバリバリ働いて高給取りになるも公務員になるもその人の自由。
海外旅行にいくことだって、個人の自由だよなと思い、それからスーッと楽になりました。
周りからよく言われる「卒業旅行」ですらいかないといけないものでもないと。
常識ですらも時間の経過とともに変化していく
自分らしく生きていくためには世間の常識をアレンジしてあてはめていくべきなのではないでしょうか。
そんなしょうもない考えに思い至ったので書いてみました!